少刑の一室。篭城策という最悪の作戦に勝算を見出しつつも、多くの仲間の犠牲を思うと不安が隠し切れない軍師・伊庭。
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男は義のために、生きるのでごんす。
100年生きても200年生きても、
義のために生きたのでなければ
何の意味もあり申さん。
義に生きる男には、死というものはあり申さん。
義のために、たとえ命を失おうと、それは、すなわち義のために生きたということ。
(堀田)
<19/130>
堀田の言う義とは、すなわち今の戦い、影の総理を倒すという・・・。正義である。それをまっとうできるなら、できなくとも、自分が倒れたとしても後に続く仲間がいる、そう信じていることから発せられた言葉。
ここには、仲間を信じる気持ち、様々な男の思いが込められていることに注意したい。堀田のここでの言葉にはこの物語の中核である男の思想が一言に集約されていると言っても過言ではないだろう。
堀田の言葉にはただ何の意味も持たずして生きているのは死んだも同然、義のために生きて、初めて男として生きるのである、という意味が込められている。そしてこれは例え死んだとしても、義のために生きたことによって男として生きれたという、自分自身が男としての人生をまっとうした、すなわち生きた証がはじめて得られるという、堀田の思想である。
たしかに、堀田が言うように、人生生き長らえたとしても、何の目的もなく生き長らえても、そこにどのような生きてきた意味が残るだろうか。
男として生きる、そこに観点をおく。
ここには、もう一つ、忘れてはならないことがある。
女性はどうなのか。
女性は生理的要因により、子供を残すことが可能である。それは自らの腹の中から産みでた自分の分身といっても過言でない、来世に残すべき自分である。
(ちなみにこれは、あくまで生理的な話なので、女性差別という意味合いにとられては困るので、一筆書き加えておく。ただ、近頃ますます活発といえる男女平等論も、もともと同じ「ヒト」であるが「男」と「女」は生理的に違う生き物であるので、私は否定しているのであるが。このあたりはまた機会があれば論じてみたい。)
では男は?と言うことであるが、種はあるが生産能力は無い。では生きた証とは、どのようなものをさすのか?男はそれを残したいが為に努力する。それが堀田のいう義にいきることなのか、また違うことなのか私にはわからないが、私は少なくともそう思う。
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あっしの願いはいつも気持ちよく生きたいということでやんす。
神竜をひっとらえるために戦っているこの毎日ってもの、
これほど気持ちのいいことはありやせん。
万が一、命を失ったとしても、まあ、こんな幸せな死に方はねえと思いやすがね。
(倉本)
<19/130>
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この世の中つうもんはバラバラの個人個人が砂利のようにあつまってるってもんじゃねえってことなんだ。
この世の中の人間は全部熱い血でもってよお・・・・・・・・
つながってるんだと・・・・・・・・・
思うんだ・・・・・・・
たがいにかたく結ばれた者同士にはよお、別れはないってことなんだ。
・・・・・・・おれたちに別れはないんだ。
それさえわかってたら、生きるの死ぬのといったって、
なんもこわかねえとおもうんだけどよお・・・・・・・・・
(大田原)
<19/131・132>
倉本も率直な意見だが、大田原が人間について語っている。たどたどしい言葉に秘められた大田原の思い。やはりここは物語のはじめで苦渋を舐めていた大田原から発せられることによって、異様なまでの説得力があることは否めない。登場人物は皆何らかの苦労があり、そしてこういう状況におかれ、男として立ち上がった背景があるにしろ、大田原ほど、悔しい思いをして、それでいて流や五家宝連、堀田や仲間たちとの邂逅によって成長してきた者は居まい。
男としての過渡期を迎え、まっとうしていく大田原の思いはここにある。
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